善性寺

日蓮宗寺院で、長享元年(1487)に建立されたと伝えられていますが、江戸十祖師 安産飯匙の祖師由来によると文永11年(1274)3月13日、日蓮聖人佐渡配流、赦免となり鎌倉に向かうの途路、武蔵国粂川の辺りに関善左衛門という者あり、その妻難産に苦しみ救いを請う、聖人その家に入り、給うに、たちどころに安産して母も子もつつがなし、一家一門その感応を拝みて入信、かしこみて聖人の御尊像を彫みて武州谷中(現日暮里)に善性寺を建立しその尊像を安置す。のち谷中感応寺(現在の天王寺)に移すとあります。以来安産救護の利益あらたかに多く庶民の信仰を得、元禄11年(1698)11月12日、感応寺(現天王寺)改宗を命せられし折り、御尊像を瑞輪寺に勧請したという寛文4年(1664)に六代将軍徳川家宣の生母長昌院がにここに葬られて以来、将軍家ゆかりの寺となりました。家宣の弟松平清武がここに隠棲したため、しばしば将軍のお成りがありました。門前の音無川に架けられた橋は「将軍橋」と呼ばれています。上野戦争では、彰義隊の屯所となりました。相撲で69連勝の偉業を達成した名横綱双葉山、首相や大臣を歴任した政治家石橋湛山の墓などがあり、また安土桃山時代の作と伝わる「不二大黒天像」も多くの信仰を集めています。

荒川区東日暮里5-41-14